2004年10月24日
スティーヴィー・サラス Discography初期
『アンソロジー・オブ・スティーヴィー・サラス・カラーコード』を中古700円で買ったので、スティーヴィー・サラス初期について。Discography。
上の作品はデビューからの集大成的なベスト的な内容でかなりgood。ファンキーです。解説とCDジャーナルから抜粋。
90年初頭デビュー作『カラーコード』がリリース。"ジミヘンの再来"と騒がれるほど、デビューは大きな話題に。ジョー・サトリアーニとの全米ツアー、同年6月には日本公演も行う。が、91年初めに所属レコード会社『island』が『PolyGram』に買収されるなどのごたごたがあり、『island』に切られるという事態に。このため、2ndアルバムの予定が立てなくなってしまったのだが、日本では、91年6月にミニアルバム『STUFF』がリリース。10月には「楽器フェア」での来日と、大阪・名古屋・市川でライブ(市川の「クラブGO」で行われ、ライブの一部は『BOOTLEG LIKE A MUG!LIVE IN JAPAN』というアルバムになって92年7月リリース)を行うといった活動。
この日本でのライブを最後にカラーコードを解散させ、スティーヴィーは様々なプロジェクトをスタート。P-FUNKのブーツィコリンズ(b)と元ジミヘンドリックスのBAND OF GYPSYSのメンバーだったバディマイルズと結成した、HARDWAREで『Third Eye Open』(92年)をリリース。93年にはサス・ジョーダンのバンドのギタリスト、テレンス・トレント・ダービーのツアーギタリストとして活動し、さらにリッチー・コッツェン、ザックワイルドなどの友達を集めて、『エレクトリック・パウワウ』を制作。
そして、94年カラーコードの名義での久々の作品になった、『バック・フロム・ザ・リヴィング』をリリース。同年10月には来日公演し、渋谷公会堂でのライヴを翌年、『ライヴ・イン・ジャパン』としてリリース。96年にはサラスのカラーコードとしての3作目『オルタ・ネイティヴ』をリリース。本作でも生まれながらのファンク/ソウル・テイストは不変で、粘っこく懐の深いサウンドと捻りの効いたタイトルに彼の意気込みが窺える。購入は、翌年リリースした傑作アルバム「オルタ・ネイティヴ」にリマスターを施し、別ヴァージョンやリミックス、さらには未発表曲やライヴ音源をも加えた究極のスペシャルCD『オルタ・ネイティヴ(+7)』で。
時期は93〜95年ぐらいだと思いますが、松本さんとスティーヴィー・サラスが対談した時に孝弘と呼びにくいとのことで、初めて松本さんを「TAK」と呼んだ重要人物であります。『エレクトリック・パウワウ』にTAKのクレジット表記も。
上の作品はデビューからの集大成的なベスト的な内容でかなりgood。ファンキーです。解説とCDジャーナルから抜粋。
90年初頭デビュー作『カラーコード』がリリース。"ジミヘンの再来"と騒がれるほど、デビューは大きな話題に。ジョー・サトリアーニとの全米ツアー、同年6月には日本公演も行う。が、91年初めに所属レコード会社『island』が『PolyGram』に買収されるなどのごたごたがあり、『island』に切られるという事態に。このため、2ndアルバムの予定が立てなくなってしまったのだが、日本では、91年6月にミニアルバム『STUFF』がリリース。10月には「楽器フェア」での来日と、大阪・名古屋・市川でライブ(市川の「クラブGO」で行われ、ライブの一部は『BOOTLEG LIKE A MUG!LIVE IN JAPAN』というアルバムになって92年7月リリース)を行うといった活動。
この日本でのライブを最後にカラーコードを解散させ、スティーヴィーは様々なプロジェクトをスタート。P-FUNKのブーツィコリンズ(b)と元ジミヘンドリックスのBAND OF GYPSYSのメンバーだったバディマイルズと結成した、HARDWAREで『Third Eye Open』(92年)をリリース。93年にはサス・ジョーダンのバンドのギタリスト、テレンス・トレント・ダービーのツアーギタリストとして活動し、さらにリッチー・コッツェン、ザックワイルドなどの友達を集めて、『エレクトリック・パウワウ』を制作。
そして、94年カラーコードの名義での久々の作品になった、『バック・フロム・ザ・リヴィング』をリリース。同年10月には来日公演し、渋谷公会堂でのライヴを翌年、『ライヴ・イン・ジャパン』としてリリース。96年にはサラスのカラーコードとしての3作目『オルタ・ネイティヴ』をリリース。本作でも生まれながらのファンク/ソウル・テイストは不変で、粘っこく懐の深いサウンドと捻りの効いたタイトルに彼の意気込みが窺える。購入は、翌年リリースした傑作アルバム「オルタ・ネイティヴ」にリマスターを施し、別ヴァージョンやリミックス、さらには未発表曲やライヴ音源をも加えた究極のスペシャルCD『オルタ・ネイティヴ(+7)』で。
時期は93〜95年ぐらいだと思いますが、松本さんとスティーヴィー・サラスが対談した時に孝弘と呼びにくいとのことで、初めて松本さんを「TAK」と呼んだ重要人物であります。『エレクトリック・パウワウ』にTAKのクレジット表記も。